1日目 @  A


 富士川と身延線についておさらいしておこう。



富士川は山梨県から流れてきて駿河湾に注ぐ川だ。

山梨県は四方を海に囲まれているので、山梨県内の川はほぼ全部、この富士川につながっている。

富士川は、甲府のあたりでは二つに分かれて「笛吹川」と「釜無川」になっている。

どっちの名前もいかにもなんか伝承がありそうでかっこいいよね

見ての通り、富士川は甲府盆地から駿河湾に向けて谷を流れてゆく。

谷を流れてゆく、というよりは、前にも言ったように、

もともと山梨から関東に流れていた川が、

富士山やら何やらの山々が後からできたおかげで流れていく先がなくなっちゃって、

何万年とか何十万年とかそういう単位で長い年月をかけてこの山を刻んできた結果としてこういう谷ができたんだろうね。

だってこの谷がなかったら、山梨県に降った雨は全部流れる先がなくなっちゃって、

甲府盆地全体が巨大な湖になっていただろう。



なにしろ山梨県には南アルプスはあるし、山ばっかりだから、その全域に降る雨の量は半端ない。

そのほとんど全部がこの一本の川に流れてくるもんだから、

しかも上の写真見ての通り、谷は割と真っ直ぐ。

四国の四万十川みたいにうねうね蛇行する暇もなく、

一気に海へと流れていくわけで、

要するにすんごい急流。

日本三大急流の一つに数えられるレベル。

あとの二つは球磨川と、もう一つは忘れた。


ちなみに急流すぎて、山梨を台風が直撃したときは富士川に水が流れ過ぎて鉄橋が落ちた。



あと、富士川を渡ると、電気の周波数が変わる。

こっち側は東日本の50Hz、向こう岸は西日本の60Hzだ。

地元の電気屋は大変だな。


だいたい、山梨県といえばブドウと武田信玄だ。

山梨県といわれてぱっと思いつくエリアは大月から甲府、竜王、穴山、韮崎、小淵沢と、中央本線に沿って諏訪へ向かっていくエリアのイメージだよね。

最近は例の平成の大合併とかで、

甲府市の隣には甲州市、山梨市、甲斐市、笛吹市が誕生して

はっきり言ってわけわからなくなっちゃった。

南セントレアとかさいたま市とかが話題になったけど、

実は山梨県民が一番頭が悪いと思う。

そもそも、「甲府」自体が「甲斐国の国府」なのに、そのとなりに甲州市と甲斐市ができて、

さらに山梨市とか完全にバカ

笛吹市はまあ、ありかなって思うけど、

どう考えても勝沼市とか石和温泉市とか巨摩市とかブドウ市とかワイン市とかの方がマシだろ常考。



いずれにせよ、そんななかで身延線の沿線である南巨摩郡方面(やまなしでは「峡南地方」と呼ぶ)は蚊帳の外。

南アルプス市作ろうぜ!って言って速攻無視されたぐらいが関の山で、

そもそも山梨県にそういうエリアがあること自体忘れられてるエリア。


だけど「身延」っていう地名自体はずっとずっと昔から知られてきた。

なぜか。

その理由がこれ。





115系電車の身延線専用色。

今では路線や地域ごとに電車の色が違うなんて当たり前だけど、

昔は基本的に全国共通だった。

湘南電車も宇都宮線も高崎線も山陽本線も東海道線もみんな一緒。

が、この身延線専用の115系だけが、30年前から身延線専用色のぶどう色+雪色で、異彩を放っていた。



そもそもこの富士川谷流域=身延線沿線には、大した町はない。

合併前の町名で言うと、市川三郷町、鰍沢町、南部町、早川町、増穂町、中富町、下部町、身延町。

全然知らないでしょう?

大したものは何もないんですよ。

あえて言えば隣にあの上九一色村があったぐらい。



それがこのぶどう色の電車のおかげで全国的な知名度のある路線だった。

有名だったのはカラーリングのせいだけではなく、編成が異常だった。

こうだったのだ。

   4     3     2     1


3号車がおかしい。

編成のど真ん中に運転席がある。

いや、そう言うことはたまにある。途中で切り離して系統が分かれるときなんかにだ。

が、それならば2号車に運転席がないのがおかしい。

これでは切り離して運用はできない。



なんでこういう編成をしていたかというと、

身延線の各駅は田舎すぎて昭和50年代の時点ですでに無人駅が多かった。

そこで、駅に着くたびに車掌がドアを開けたり閉めたり改札したりするわけで、

車掌的には電車の真ん中らへんにいるのが便利だったので、編成の真ん中らへんに乗務員室が来るように

こういう並びになっていたわけ。


あともう一つ、富士川といえば有名なのが「富士川の合戦」。






川をはさんで源平両軍が対峙していたところ、

源氏方の別動隊が夜中にこっそり渡河して不意打ちをしようと思ったら、

水鳥が一斉に飛び立っちゃって、不意打ちバレタ(^o^)オワタ

って思ったらその音にビビって平家方が潰走したというあれ。


素人は「ふじがわ」って発音したくなるけど地元民は「ふじかわ」って発音するらしい。


そんなこんなでわざわざ身延線に乗りにきたわけだが、ぶどう色の電車じゃないのには正直がっかりした。



313系。

ちょっと物足りないデザインでしょ。

実は実際、物足りないんです。上の方が。



パンタグラフ。普通よりちっさい。

この身延線はもともとは馬車鉄道として建築されたのでトンネルとかがちっさくて、

そこに架線ひいて電車を走らせてるんでトンネル内の天井が普通の路線より低い。

そんなわけでパンタグラフも小さかったり、普通の電車の天井を下げたりしている。

どのぐらい低いかというと、普通よりも26センチぐらい低いわけで、かなり違う。

カーブも一般的な路線よりも異常に多い。

この身延線よりトンネルが狭いのは、最近になって電化された四国の予讃線しかなく、

それまでは日本でいちばん建築限界の狭い路線だった。



さっきのブドウ色の電車がオリジナルカラーだったのもそこら辺が理由で、

要するに「この電車しか通れねえから」って言うのをバカにでもわかるように色を変えていたのだ。


さすがに昼間の身延線はロングシートではなく、ボックスシートだった。



早速、富士川サイドの1ボックスをゲットする。

線路はずーーーっと富士川の左岸を走り、最後まで一回も富士川は渡らないので、

こちらサイドにいれば最後まで皮が眺められるという寸法だ。

富士駅で買ったチーカマとドリンクも完全装備。

いよいよ出発である



利用客は女性が多い。9割は女性だ。

ほとんどみんなお互いに顔見知りのようで、車内に乗り込むと世間話に花が咲く。

そしてみんな1駅か2駅で降りてゆく。





智頭急行で経験したように、ドアは自動では開かない。

駅に着いたらボタンを押すとドアが開く仕組みだ。



地図を見てもらうとわかるとおり、

富士を出てしばらく、富士宮焼きそばの富士宮までは工場地帯をゆく。



まあ工場地帯と言っても田舎のこと。

こういう工場があったと思えば



田んぼがあり、そうかと思えば




工場があり、



田んぼと住宅街があり、

といった塩梅だ。

しかし電車の中からの撮影は難しい。

窓あかないからガラスに反射して車内が映り込むし、

横しか見えないからギリギリまで次に何が見えるかわからないし、

いいもの見かけたから車とめてじっくり撮影するわけにもいかないし、

ましてちょっと戻ってじろじろ見ることもできない。

全てが一発勝負だ。



工場が多いが、富士は精子製紙がお盛んだ。

どのぐらい盛んかって言うと、製紙工場の数が日本一。

富士市だけで日本の紙の1割を生産している。

パルプ臭い。


なんで製紙が盛んかと言うと、富士山からの伏流水が地下水としてものすごく多く、

製紙に向いているからだ。




で、パルプを作った後の汚水をじゃんじゃか流しまくった結果、田子の浦はヘドロでドロっ泥になって、

ゴジラシリーズ最大の怪作として有名な、「ゴジラ対ヘドラ」の舞台にまでなった。


田子の浦から出現した

異形の公害怪獣ヘドラは腐った水を吐き散らし、

それを浴びた人間はぐちゃぐちゃのアレ になってしまうのだ。

ゴジラさえも、ヘドラの体液で片腕をやられて白骨化してしまう。

なお、ヒロインの富士宮ミキは全裸にボディペイントをしてサイケデリックな照明の下で踊り狂う。



常識的に考えて子供に見える映画とは言えないよね。


しばらくするとこんなものが見えてくる。









第二東名だ。

あれ?これって結局中止になったんじゃなかったっけ?

完成すれば、海老名→御殿場→静岡→豊田を時速140キロで走行可能になる。

で、豊田からはすでに完成していて俺も何度もお世話になっている、名古屋の湾岸線→三重の新名神で、

関東と関西を結ぶ弾丸道路が完成するわけだ。

140キロ平均で移動できるということは、

東京から大阪までだいたい3時間ぐらいで行けるってことかな。

長距離ドライブがまた楽になるね。

東京を夜出て、大分あたりで朝を迎えて早朝の市場で関サバ食べるとかも可能になるかもね



工事の進捗状況を確認できることができるサイト
http://www.c-nexco.co.jp/corp/construction/relation/dai2toumei.html


まだ全然用地買収中とかそう言うレベルじゃんw

平成32年完成予定とかw


出発から20分ほどで富士宮だ。

まだ食べた事がないのでどんなものか知らないが富士宮焼きそばの富士宮だ。



富士宮市街を抜けると、ぐるーーーーっと線路は180度カーブをしながら、目に見えるぐらい急な勾配をぐんぐん上り始める。





登りきった途端に





風景は山奥の田舎感丸出しになる。





芝川に到着。

ここが終点の電車も多く、ここから先はマジ山だよ、って感じだ。

駅もかつては大きかったですよって感じで広く、もう使われていないホームもある。

線路もいっぱいあるが、写真に写っている一番外側の線路、よく見ると架線がない。

もう使ってないんだろう。


芝川駅の周り。



月代 と書いて げんよ

朏島 と書いて みかづきしま

もちろんうちのIMEはバカだから変換できない

朏って漢字初めて知った

月が出ると書いて「みかづき」。意味は、陰暦3日目の月夜のことで、

肉眼で目視できる最初の月だそうだ。

厨ぽくいつか使ってみたい漢字ではあるが、

なんとなくぱっと見が「拙い」って字ぽくてあまりかっこよくないよね。



ところで、こんな地名がつくなんて、

何かお月さまに関連する故事でもあるんだろうか、って思ったら『竹取物語(かぐや姫)』だった!

かぐや姫を発見した爺さんと婆さんはこのあたりに住んでいたそうだ。

が、このへんに伝わる竹取物語は一般的な竹取物語と違って、バッドED。

(有名な話もグッドEDとは言い難いが、トゥルーEDではあるだろう)

かぐや姫と彼女に惚れた帝は、結ばれない運命をはかなんで

なんと二人で手を取り合って富士山中の湖に身を投げるのである。




芝川から先はこんな感じ。





芝川を渡る。

ここからちょっと上流に行ったところには、

有名な「曽我兄弟の仇討」の工藤祐経の墓がある。

巻狩をしていた工藤一味を急襲して見事討ち取ったとされる場所で、

地名も「狩宿」とかそう言う感じになっている。





街道沿いには古い家が目立つようになる



富士川も見える。

「日本一の急流」って言う割には水の量少ないよね

なぜかって?

それは○○が発電のために大量に水を抜き取っているからです。

新潟の方でもそんな話があったよねw



素敵な旧家があって



稲子駅に到着です。


稲子駅を出るとすぐに茶畑に遭遇。



帰ったらぐぐってみようと思っていたことを思い出してぐぐってみた。

http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&safe=off&rlz=1T4DAJP_jaJP255JP255&lr=&um=1&ie=UTF-8&q=%E7%A8%B2%E5%AD%90%E3%80%80%E8%8C%B6&fb=1&split=1&gl=jp&view=text&ei=cTo6SpGlOIOUkAXv85zYDQ&sa=X&oi=local_group&ct=more-results&cd=1&resnum=1

やっぱりお茶だね。

稲子をすぎると県境があって、こっから先は甲州山梨県だ。


山梨県に入って最初の駅が十島。

ここで対向列車とのすれ違いがある。

都会のもやしっ子は知らないと思うけど、

田舎の単線では上下の電車がそのまま走っていくとぶつかっちゃうので駅とかで待ち合わせして

うまいこと示し合わせてすれ違うようになっているのだ。





いい笑顔だ。


このあたりの南部町という地名は、遠い昔に南部氏がこの地を治めていたことに由来する。

っていうか、南部を治めたから南部氏って言うんだよね。


いつ頃の話かというと、1180年。鎌倉幕府誕生前夜。

彼は、源頼朝の家来で、石橋山の戦いのときから従っていたというから

最古参の中の古参といえる。石橋さんについては上のリンクを参照してね!

南部光行

で、この戦いで活躍した彼は、ここ南部の地を領地として授かった。

これより彼は南部光行と名乗り、頼朝につき従って奥州に遠征、

藤原氏の征伐に参加して三戸に城を建てた。

そして彼の子孫が奥州のいわゆる南部地方に住み、南部氏となって、

傍系の子孫が一戸氏、三戸氏、四戸氏、八戸氏、九戸氏となった。

「いわゆる南部地方に住み」という表現はおかしいよね。

彼が住んでいたエリアを「南部地方」と呼ぶようになったと言うべきだ。



ちなみに上の肖像、「南部家」といえば『南部鶴』で有名な鶴の家紋なんだけど、

南部鶴

旗印は武田菱だよね。何かの間違いかと思ったらそうでもないみたいで、

南部家が鶴の家紋を用いるようになるのはこれよりも後のことなんだってさ。


南部



しばらく、小高いところから富士川の流れを眺めることができる。








この写真を見ると「富士川の谷に沿った地域」ってのがよくわかるよね。

今では行政区分が市区町村ベースになっているから、

大きな地図で見て大雑把に言って円形のエリアが一つの「地域」として認識されるけど、

昔はそうじゃなくて、川・谷があって、だいたい川に沿って街道があって、

地域は川筋や街道筋別に「○○筋」って言う風に認識されていたから、

今の地図で見ると1キロも離れていないエリアでも間に峠があれば全然別の地域だし、

10里も離れていても同じ川の中流と上流であれば同じ地域としてカテゴライズされていた。

地図で見るとその辺がわかりにくいけど、行ってみるとよくわかるよね。


河川敷の森をぬけ



お屋敷の脇を抜け



水郷地帯を抜け



大島に着く。駅名は「甲斐大島」だが、ここが「甲斐国」といわれてももう一つピンとこない。

やっぱり甲斐は八王子から大月を越えていかないとな。




甲斐大島では上りの特急ふじかわとの待ち合わせがある。

他に乗客は1組しかいないし、ひさしぶりに運転台かぶりつきしてしまおう。



富士⇔甲府ってどっちが上りでどっちが下り?って思うけど

甲府→富士が「上り」で富士→甲府が「下り」だった。

なんとなく直感と逆だね。



もちろんここを読んでいるエリートのみんなは知っていると思うけど、

東京へ向かうのが「上り」で東京から離れるのが「下り」って言うのが原則だよ。

ただし北海道では違ってて、札幌に向かうのが「上り」だから、

函館本線を南下して東京へ向かう北斗星は「下り」だよ。




しばらくぼけーっと待っていると


きたきた







ローカル線のってるとなかなか目新しいイベントがなくて

すれ違いごときで興奮してついうっかりシャッター押しまくっちゃうよね

このスレ違い写真だけで12枚ぐらいあったわ





 甲斐大島を出ると次はいよいよ身延です。



身延線って言うぐらいだから沿線を代表するジャンボタウンなわけだが、

平成の大合併後も「町」に留まっているということは結局ちっさい町なのかね。

あれだね、羽幌線の羽幌ぐらいかな。



 身延駅前のメインストリートはこんな感じ!



すげー 超がんばってる

なまこ壁+瓦屋根に家紋までつけちゃって、かなり必死。



みんな真新しくて全っ然歴史の重みとかゼロなんだけど

頑張ってるのはとても評価できると思うよ!


身延町商工会のHP


 身延は明日行くので今日はスルー。



ここで後続の特急「ふじかわ」に追い越されるので25分ほど停車。



予定通りにロマンスカーに乗ってたら乗るはずだった特急だ。

追い越されるが、降りるのはこの次の次の下部駅なので、特急に乗るのと結局10分しか到着時刻が変わらない。


駅を出るとすぐに、身延山が見える。



ちょっと気になったのは



このショッピングセンターCOMA。

COMAは巨摩郡の巨摩が由来とのことだが、

英語で言うCOMAは意識不明の昏睡状態を指す。

たとえば車にはねられて3年意識がなかったりする状態を表す言葉だ。



ちょっとネーミングセンスを疑ってしまうネーミングだが・・・

 1993年 開店

 2004年 映画館が閉店

 2006年 電気屋が撤退

 2008年 全面閉鎖

 2009年6月現在 全面営業休止中

何をか言わんやの運命w

まあだいじょうぶ。3年ぐらい寝ていれば治るよ。

COMA公式HP


目指す下部まであと少しだ。



身延駅の次に塩之沢という駅があるのだが、

富士川をはさんだ対岸は波木井という。



波木井(はきい)と聞くと普通はこれを連想するもんだが、



実は波木井は戦国時代には城があり、波木井氏が治めていた。

波木井城跡



ここは駿河と甲斐を結ぶ駿甲連絡路の中間地点に当たり、交通の要衝である。

この波木井庄を抑えていた波木井氏は南部氏の子孫で、

身延山へ入った日蓮を保護したりもしていたのだが、戦国時代になると、駿河の今川氏、甲斐の武田氏に挟まれて

難しい立場に置かれるようになる。

今川氏は今川義元の父、氏親、

武田氏は信玄の父、信虎の時代である。

今川氏親は応仁の乱の時代に一大勢力を築き上げたが、

その家臣である福島正成(「福島」と書いて「くしま」と読む。)はこの富士川を遡って甲斐へ攻め込んだ。

このときに波木井氏当主の波木井義実は、今川勢に与して武田勢を破り、

調子に乗って甲斐本国まで攻め込むが、武田信虎に見事に破れて撤退。

その後、信虎による征伐を受けて滅ぼされたそうだ。


「はだかじま」といわれるとエッチなエロゲーみたいなシチュエーションを想像してしまいがちだが、

「波高島」と書くそうだから残念でした。



そして、一度富士川から離れて支流の常葉川の谷筋へと入っていくと、



目指す下部だ。



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