関東の人には常識すぎて当たり前だと思いますけど、ここを読むのは関東の人とは限らないし、
少し解説しておきますね。
小田急電鉄が誇る「ロマンスカー」は関東地方を代表する名特急なんです。
東京・新宿から関東随一の観光&温泉スポット、箱根を結ぶ豪華特急。
まだ小田急をこういう電車が走っていた昭和30年初頭に
バーミリオンとシルバーのツートンカラー、流線形という斬新すぎるフォルムで登場して、
ミュージックホーンを鳴らしながら走る姿はセンセーショナルを巻き起こし、とりあえず特急券は常に売り切れ状態!
動画 http://www.youtube.com/watch?v=B130lNHTtm4
初代のブルーリボン賞を受賞。ていうかこの特急のためにブルーリボン賞が創設されました。
見た目だけではなく、本気で走ると凄くて、狭軌鉄道では世界最高速を樹立
。
その後、ロマンスカーは次々と最新型が投入され、
名鉄のパノラマカーはこれの姉妹車ですね。
新宿と箱根、江ノ島、朝霧高原などを結んでいるんです。
さて、そのロマンスカーのうち「あさぎり」号は、ロマンスカーの中でもやや異色の存在なんです。
新宿から小田急小田原線で松田まで行くと、そこから国鉄の御殿場線に乗り入れて御殿場を経由して朝霧高原へと向かうんです。
その御殿場線について解説しておきます。
これが現在の相模地方。
酒匂川流域の小田原は余所とは山によって完全に切り離されているのがわかると思います。
北条氏がここに籠って五代にわたって独立王国を築いたのもうなずけますよね。
小田原より西は、金時山、箱根外輪山、そして伊豆の山々によって完全にガードされているんです。
ここにこういう山々が小田原を取り囲むように存在しているのはわけがありまして、
ご存じのように、日本列島はいくつものプレートの境界にありまして、非常に危なっかしいわけなんですが、
その中でも箱根・伊豆のあたりは北米P、ユーラシアP、フィリピンPの3つがピンポイントでせめぎ合う地震の巣窟です。
日本の遙か東沖には、ハワイがあるんですけど、
昔はそこにあったのは伊豆半島や、丹沢山地でした。
とっても昔の話なんですけど、現在、関東地方と呼ばれているあたりはこんな感じでした。
そこへハワイの方からやってきた陸君がさがみちゃんに近づき・・・
メリッ!
陸地はムリムリっとさがみちゃんの中に侵入し、山ができ、
↓
さらにその余波で現在の房総半島の方まで隆起して陸地となります!
そこへ今度は伊豆くんがやってきて追い打ちをかけるんです!
らめぇえええ そんな大きいの入るわけないよぉお!
ひぎぃいいいいいいいいいいい!
伊豆は付け根まで容赦なくさがみちゃんの奥まで押し入り、このため現在の箱根や丹沢の山々ができます。
伊豆はさがみちゃんの奥で岩盤に突き当たり、
それ以上入っていけなくなると、圧力で生成されたマグマを、
さがみちゃんの奥の方で溜めこんでいきます。
そして
溜まりに溜まった熱いマグマが、さがみちゃんの一番奥で一気に放出されるの!
こうして富士さんが誕生し、
伊豆の付け根のあたりの箱根のあたりは今でも活発な火山活動によって噴煙が上がり、
ほかほかの温泉地帯となっています。
当然地震も多いんですよ。
そんなわけで小田原から南は、山は険しいわ、マグマは出るわ、地震は起きるわ、谷茂の悪いとこ全部治るわで
国鉄が明治22年に東海道本線を建設するときも、当然ここを避けてこういうルートになりました。
国府津から北上した東海道線は、酒匂川沿いに北上し、松田、山北を経て酒匂川の刻んだ谷をわたり、
御殿場へと抜けるのです。
御殿場からは一気に沼津まで下ります。
御殿場付近の全盛期の姿です。
東海道本線なので当然複線です。
明治20年代ですよ?昭和じゃないですよ?
ロマンスカーが登場する昭和30年代よりもさらに60年も前の話です。
1890年ごろ、今から120年前のことです。
その高低差は約1200メートル。
ご存じのように、鉄道は下り勾配も苦手。そのため、上りも下りも、国府津と沼津で機関車を二両増結し、上るときは後ろから押し、
下るときは死重となってスピードを抑制します。
ここは東海道本線最大の難所でした。
あまりの急勾配のため一気には登れず、
途中で機関車を増結したり、スイッチバックをしながら山登りをするわけで、
スイッチバックの時なんて機関車をはずして逆にしてもう一回つけて、なんてやるもんですから
それはもう、時間もかかります。
そこで、開業から30年たった頃に、新線建設の話が出ます。
小田原から海岸沿いに熱海まで南下し、そこから一気にトンネルで沼津へ出ようというのです。
まあ、言い出しっぺの国鉄総裁は自分の別荘が熱海にあるもんですから、
自分のためなんですけどね。
ご覧のとおり、もしこの新線が開通すると、
距離は短くなるわ、高低差は5分の1になるわ、名温泉地の湯河原や熱海を通って乗客は増えるわ、谷茂の悪いとこ全部治るわで
良いことづくめです。
完成すると全長7.8キロ、日本一どころか東洋一の長さのトンネルになります。
というわけで大正7年に丹那トンネルを着工しました。
・・・・が。
なにしろ大正時代のことですから、トンネル掘りっつったって気合いです。
地盤調査とかしてません。
カンテラとツルハシでの手掘りです。
心頭滅却すれば火もまた涼し!
宮藤ぃ!トンネルが掘れないのは貴様の根性がたるんでいるからだ!
の精神です。
が、さっきご覧いただいたとおり、ここは日本でもトップクラスの難地盤でしたw
熱海火山のど真ん中ですwww
トンネル崩落で42名生き埋めとか16名生き埋めとかそう言うレベルです。
トンネル工事中に出た湧水 6億㎥wwwwwww
トンネル真上の丹那地域では水がなくなって田んぼが全部枯れましたwwwwww
ま、まあそういうこともあるよな宮藤、だが私にはわかる!
ここを抜ければもう一息で貫通だ!
向こうに着いたら好きなだけ沼津の桜海老を食わせてやるぞ宮藤!
そして着工から12年後。
(本当は7年で工事は終わるはずだったのですが)
トンネルは熱海の火山の真下でものすごい断層にぶち当たります。
さてその断層を掘りますか!と言って掘りはじめた途端の事でした。
昭和5年11月26日午前4時2分。
まさにその断層を震源として、大地震が発生します。伊豆大震災です。
マグニチュード7.3。阪神大震災と同規模です。
丹那トンネルが通る、函南(かんなみ)町の丹那(たんな)地区は、
『神凪町田菜』としてアニメ『絶対少年』の舞台になったことで、一部の人々からは聖地とされています。
私は見たことはないというか、今回初めて知ったアニメなんですが、
まあいかにもな感じの萌えアニメって感じですね。
丁寧に作られてる感じがしてすげー見てみたいので誰か情報ください。
で、その聖地巡礼の一つとなっているのが
火雷神社です。
この神社の石段の前には、伊豆大震災で崩れた鳥居が今も残されているのですが、
よく見ると、鳥居と石段がずれています。
ちょうどこの石段の下で断層がズルっとずれたんです。
丹那トンネルもこの下を通っていたわけですが・・・
トンネル掘っている目の前の断層が2.5メートルずれたとかそう言うレベルです。
そんなわけで、現在も丹那トンネルは途中でS字に折れ曲がっています。
そんなこんなで丹那トンネルが開通したのは、予定より9年遅れた16年後の昭和9年のことでした。
かかった費用は当初予算の4倍。死者67名。
開通の1番列車にはNHKが乗り込んで、実況をしました。
東京から大阪を目指す特急「燕」は、このトンネルを通って8時間で両都市を結ぶようになりました。
ちなみに、その後新幹線もこのトンネルのすぐ脇を通るのですが、
さすがにその時は地盤調査を行いました。
その結果、「この断層は1000年周期で地震を起こしてて、こないだ伊豆大震災起きたばかりだからあと1000年、少なく見てもあと700年は大丈夫^^」
ということで問題なく新丹那トンネルを作っています。
一方、御殿場を通る旧線はお役御免となり、東海道本線から切り離されて御殿場線へ格下げ、
「もう複線もいらねーだろw」
というわけで線路も撤去されて単線のローカル線へと転落してしまいました。
今では通勤時間帯でも1時間に2本、日中は1時間に1本しか電車が走りません。
そんな御殿場線を通る豪華プレミアム特急、それが
ロマンスカーあさぎり号なのです!!
どうですか乗ってみたくなったでしょう!
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